「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【述べて作らず、信じて、古を好む】 Vol.152

 

子曰わく、述べて作らず、信じて、古(いにしえ)を好む。窃(ひそ)かに我を老彭(ろうほう)に比(なぞら)う。(「述而第七」1)

  

(解説)

孔子の教え。私は祖述しはするが創作はしない。先王を信じ古典・古制・古道を好む。ひそかにこの私を心の中で、老彭になぞらえている。」論語 加地伸行

 

 桑原の解説

  老彭は、彭祖のことであり、包咸(ほうかん)の注には、「殷の賢大夫、好みて古事を述ぶ」とある。767歳まで生きたという伝説があるから老彭とよばれるという。

 「述べる」とは、昔からあることを伝える、つまり祖述することであり、「作る」が新たな創作することであるのに対立する。

 桑原は、孔子が自分の学問の方法を述べたのであるという。自分の基本的な態度は、周公以来の礼楽の道をいまに伝えようとすることにあって、自ら新しい型を創り出そうとするものではない。それは殷代の彭祖と同じだとひそかに思っている。

 「窃かに」というのは、謙遜の意味で、あの大政治家に自分が似ているなどというのはおこがましいが。という感じであろうという。

 

 

 桑原は、どこの民族にも尚古主義は必ずあり、それは大雑把にいって、近代科学の起こるまで残存するのではあるが、おそらくこの孔子の美しい言葉を中心とする儒教の強い影響が、中国では特に尚古主義を文化の中心概念としたように見えるという。

 中国絵画にはよく「何某の筆意に倣う」といった賛がみられる。絵画を学ぼうとする者は、まず古来の名家の作品を臨模することから始めるのである。書についても同じであるという。

 古いものを精根こめて学びとろうとするうちに、もし当人に独異の才能がありとすれば、それは必ずあらわれずにはおかない、と考えるのであって、みだりに幼稚な「独創性」をあわてて発揮しようとはしないのであるという。

 孔子はここで自分の方法をのべているだけであって、その方法によって生れた彼自身の仕事の中にどのような新しさがあるかは、私たちの発見すべきことであるという。 

 

 

「尚古主義」、古い時代の文物・制度などを尊び、これを模範としてならおうとする考え方。尚古主義の考え方が前例主義のもとのだろうか。

 一方、孔子は「為政第二」11で、温故知新 という。 

 

「過去の伝統を冷えきったそのままで固守するのではなく、それを現代の火にかけて新しい味わいを問いなおす」桑原は解する。

「伝統を墨守するのではなく、永遠の真理の今日的意味をさぐる」

そうした知的訓練を重ねることによってのみ、目前の複雑で混沌とした、しかし、私たちにとっても切実な現実を鋭くまた筋道をたててとらえることができると解説する。 

dsupplying.hatenadiary.jp

 

 人が「独創性」、「新しさ」を感じることができるのは、それまでにあったことを知っているからなのだろう。過去を少しだけで良くすることが、独創性になる。極めて単純なことだが、それだけに難しいということでもある。

 孔子が「述べて作らず、信じて、古を好む」といったこと、心持ちも理解できる。

 「独創性」、「新しさ」を認知するのは他者であって、自分ではない。

 

(参考文献)  

論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫