原思(げんし)之が宰と為る。之に粟(ぞく)九百を与う。辞す。子曰わく、毋(なか)れ。以て爾(なんじ)の鄰里郷党(りんりきょうとう)に与えんか、と。(「雍也第六」5)
(解説)
「原思が、孔子の知行地の頭となった。孔子は九百斗を与えた。ところが、原思はそれを受けなかった。すると孔子はこうおしゃっられた。「断るな。お前の近郷近在の者に分けてやればすむことだ」と。」(論語 加地伸行)
桑原の解説、
前章の出し惜しみに反して、ここでは気前がよすぎるように見える。孔子はいつも相手を見て話をするのだったが、同様に、給与などについても相手によって処置を変えたのであろう。前章の子華は派手好みの男だが、この原憲は貧しい学究で、孔子の死後、衛の宰相となった子貢が美々しく威儀をととのえて、陋屋の原憲をたずね、かえって辱しめられたという伝説がある。孔子は彼の生活の不如意をよく知っていて、過分の手当てをあたえたのであろう。前章の「急を周いて富めるを継がず」を実践したのだ。
「原思」、姓は原、名は憲、字名が子思。魯の国の人で、孔子の弟子。
「毋れ。以て爾の鄰里郷党に与えんか」
政府や企業にもこうした姿勢があれば、いいのかもしれない。
このコロナを経験してつくづくそう思うようになった。
「君子は急に周くして富めるに継がず」
(参考文献)
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