子の韶(しょう)を謂う、美を尽くせり、又善を尽くせるなり、と。武を謂う、美を尽くせり、未だ善を尽くさざるなり、と。(「八佾第三」25)
(意味)
「作品韶曲に対する孔子の評価は「美、その上、善」、武曲へのそれは、「美、しかし、善は不十分」であった。」(論語 加地伸行)
「韶」、聖人である舜を称えた楽曲だという。
「武」、同じく聖人である武王を称える楽曲。
武王は、周王朝を建てたが未完成であった。魯国の始祖、弟の周公がそれを完成したので、「武曲」を善が不十分とする解釈があるという。
「美」は大、「善」は小、あるいは「美」は甘美、「善」は高い品格と解釈が多いと加地は指摘する。
「関連文書」
ラグビーワールドカップが終わった。決勝戦は南アフリカ対イングランド。戦いの後が少し残念であった。
ニュージーランドを破り快進撃を続けたイングランドだが、南アフリカの頑強なフィジカルの前に屈した。よほど悔しかったのかもしれないが、メダルを外す光景は見たくなかった。
「韶を謂う、美を尽くせり、又善を尽くせるなり。
武を謂う、美を尽くせり、未だ善を尽くさざるなり」
イングランドの振る舞いが「美、しかし、善は不十分」と映る。
ラグビーは紳士のスポーツと聞く。「美、その上、善」であって欲しい。
(参考文献)