子曰わく、人の己を知らざるを患(うれ)えず。人を知らざるを患う。 (「学而第一」16)
(意味)
「他者が己の能力・力量を知らないからといって不満を抱くな。自分が他者の能力・力量を知らないことを反省することだ。」(論語 加地伸行)
桑原はこう解説している。
自分が人に知られないことをくよくよ憂えたりしない。それよりも人を知らないことを反省するという意味であろう。
道を学ぶ自分の価値は自分がよく知っているはずであり、それが世に知られる知られないかは天命なのだ。それよりも他人の価値を十分に知らないでいる自分の不親切さを反省すべきだとしている。
仁斎は、自分の中に善が存在しなければ他人の善を知ることができない、そこで他人を知らないことを悩む、ときわめて道徳的によんでいる。
「里仁第四」14では、「位無きを患えず。立つ所以を患う。己を知る莫きを患えず。知る可きを為さんことを求む」という。
「憲問第十四」30では、「人の己を知らざるを患えず。其の不能を患うるのみ」という。
「衛霊公第十五」19では、「君子は能(よ)くする無きを病(や)む。人の己を知らざるを病まず」という。
人の己を知らざるを患えず。人を知らざるを患う。
どれも同じ内容だと言われる。
南場智子さんの記事をForbesで読まさせていただきました。DeNA立上げまでの彼女の生き方を知ることができました。記事に書かれていませんでしたが、DeNAを一度退任され、一連の不祥事の後に現職に復帰されています。その間のご苦労を記事からただ推測するばかりです。創業者ならではご苦労もあったのではないでしょうか。
南場さんはDeNAを興す前は、マッキンゼーにお勤めされており、若気の至りともいうことなのでしょうか、だいぶ苦労されていたようです。
マッキンゼーでは、毎日のように「お前のバリューは何だ」と上司から言われて、「今日もバリューが出せなかった」「チームのバリューは出せたけど、私のバリューは出せなかった」と悩んでいました。横並びで評価されることもあって、自分のバリューを出すことだけに躍起になっていたのです。
けれど、その最後のプロジェクトでは、初めて仕事の成果という1点に意識を向けることができました。私にはもう失うものが無いので、自分が周りからどう見られても構わないから、とにかくプロジェクトを成功させなければ、という気持ちになれたのです。
そうしたら肩の力も抜けて、知ったかぶりもしなくなったし、分からないことがあれば誰かに素直に助けを求めることができるようになりました。結果的にそのプロジェクトは大成功を収め、その後、私はクライアントさんから名指しで呼ばれるようになりました。
(出所:Forbes)
自分を売り込もうと焦るばかりに空回りをする。組織やプロジェクトで働く場合は、必ず協力者となる仲間(他者)の存在がある。その仲間との間に信頼関係が生まれ育ってはじめて協力関係が成立する。 仲間である他者の能力を理解しているからこそ援助を求めることもできるのです。
私はDeNAを創業する際に、「日本で最大のネットオークションの会社をつくりたい」という目標を立てました。それ単体はとても遠いゴールですが、実現するための要素を分解していくと、まず仲間を見つけようとか、サービスを開発するためのエンジニアを採用しなければとか、いろいろなやるべきことが浮かび上がってくるわけです。(出所:Forbes)
苦労した末のプロジェクトでの成功体験があるからこそ、DeNA創業にも活かされ、素晴らしい仲間たちを集めることもできたのではないでしょうか。その後の不祥事で何人かを処分することも経験されています。
人の己を知らざるを患えず。人を知らざるを患う。
この言葉に、南場さんのお姿が見えたような気がしました。
南場さんは今も横浜ベイスターズのオーナーでもあります。ベイスターズももの凄くよい球団に変身していますよね。ベイスターズスタジアムに行くとつくづくそう感じます。また、ベンチャー支援にも熱心のようですね。
その南場さんが経団連の副会長になるという。女性で初めての副会長。
活躍を期待したい。
(参考文献)