「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

「新しい資本主義」と「共同富裕」、その違いは何であろうか ~ 炉辺閑話 #88

 

米国の投資会社の創業者が、中国が進める「共同富裕」の取り組みを評価し、米国などの国々も富の格差を縮小するよう促したといいます。

ダリオ氏が中国の「共同富裕」を称賛-米国も見習うべきだと主張 - Bloomberg

 ブルームバーグによると、これは1500億ドル(約17兆3000億円)の資産運用を行う米投資会社ブリッジウォーター・アソシエーツの創業者、レイ・ダリオ氏の発言といいます。

 中国の共同富裕について、国民の間でのより公平な富と機会の再分配に加え、人材プールの拡充に寄与すると指摘。(出所:ブルームバーグ

 また、「米国は独自のシステムを通じ、国民共通の繁栄をさらに進める必要があり、他の多くの国々も同じだ」と述べたといいます。

 競合の揚げ足取りして、それを邪なものとすれば、自らを正当化することは出来ます。しかし、各々どれが道理にかない、普遍的な価値あるものなのかを見極めろとのことなのかもしれません。

 

 

 経済が創出する所得と支出、資産と負債、内政と対外関係といったことを基準とすれば、ダリオ氏は米国の方がよりリスクの高い投資先だと分析したといいます。

「(米国は)より多くの高リスク要因を抱えており、教育レベルや競争上の優位性などは低下している」と説明、テクノロジーは依然として米国にとって明るい側面だが、変化のペースは中国よりも遅いとも述べたそうです。

 日本もダリオ氏が指摘する米国と大きな差がないのではないでしょうか。こうした状況を鑑みれば、「新しい資本主義」が提唱されるのもわかるような気がします。政府は中国の「共同富裕」を参考にしたのでしょうか。

「共同富裕」とは、貧富の格差を縮小して社会全体が豊かになることをいうそうです。高すぎる所得を合理的に調節し、高所得層と企業が社会にさらに多くを還元することが奨励され、所得の高い人や大手企業に寄付などを促しているといいます。

「共同富裕」って何なの?習近平政権のねらいは? | 習近平 | NHKニュース

 NHKによれば、中国の大手IT企業を中心に巨額の資金の拠出を表明する動きが相次ぎ、「共同富裕」の方針に追従する動きを見せているそうです。その背景には巨額な罰金が科せられたり、規制強化があるようですが。

 一方で、締めつけ強化は、企業活動を萎縮させ、技術革新などが生まれにくくなり、株価の下落につながりました。企業の資金調達が難しくなることで、結果的に中国の経済成長の妨げになるおそれもあると指摘されているといいます。

 

 

論語の教え

「麻冕(まべん)は礼なり。今や純(いと)は倹(けん)なれば、吾は衆に従わん。下に拝するは、礼なり。今 上に拝するは、泰(おごる)なり。衆に違(たが)うと雖(いえど)も、吾は下に従わん」と、「子罕第九」3にあります。

 「麻糸製の麻冕を冠(かぶ)るのが、正礼であるが、今は、絹糸製の冕が安価であるので、古礼から外れるが私も衆人と同じようにしよう。臣は君主に拝礼するとき、堂から下って拝礼するのが正礼である。ところが、今は、ただちに堂に上って拝礼しているが、それは驕りである。私は衆人と違うとはいえ、正礼通り堂下から拝礼することを守る」ということを意味します。

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 礼、規範、マナーなども古代から時代変遷とともに変化するということなのでしょう。その中で、守り続けるべき普遍的なものと、そうでないものがある、麻冕のようなモノであれば、より安価なものにとって代わっていくことは許容できるが、変えるべきでないマナーや規範、ルールもあるということを孔子は言おうとしていたのではないでしょうか。

 

 

「子 四を絶つ。意なる毋(なか)れ、必なる毋れ、固なる毋かれ、我なる毋れ」と、「子罕第九」4にあります。

「意、必、固、我の四つは、誰にも無くてはならないものであるが、この四つには、決して「私」があつてはならない」との意味だと、渋沢栄一はいいます。

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「元来、意、必、固、我を全く絶つといっても、これを完全に無くしてしまうことはできない」。「孔子の教えもまたこれを全然なくしてしまうというのではなく、この四つに「私」字を補って見るのが適当」と栄一はいいます。

すなわちこの四者が私に根ざして不道理に働く場合を絶つというのである。換言すれば、何事を行うにしても必ず道理に適い、徳義に反せず、至公至平であれと教えている。(参考:「実験論語処世談」渋沢栄一記念財団

「己の意にこだわるな、決めたことにこだわるな、執着するな、利己的になるな」ということでしょうか。

 たとえば国ひとつとっても、行うことすべてが絶対に正しいということはないのでしょう。色々な主義がありますが、どちらをとっても弱点はあるものですし、完璧ではあるはずがありません。完璧であるなら、格差社会のような社会課題が生まれることはにはずです。○○主義に執着せず、その弱点を補って、公平無私に徹せよということが求められるようになってきているのかもしれません。

 

世界10大リスクと米中対立、対立は激化しないとはいうけれども

 著名な国際政治学者イアン・ブレマー氏が率いる米調査会社のユーラシア・グループが年頭、2022年の「世界の10大リスク」を発表した。

 1位に中国における「No zero Covid」(ゼロコロナ政策の失敗)を挙げ、それによって世界経済が混乱に陥る事態になると予測、2位には、「テクノポーラーの世界」、巨大ハイテク企業による経済・社会の支配があがり、偏ったアルゴリズムが混乱や暴動を引き起こし、株式市場に影響を与え、何十億人もの人々が陰謀論に振り回されると指摘したそうだ。

新型コロナ: 22年の10大リスク、「中国のゼロコロナ失敗」が首位: 日本経済新聞

 日本経済新聞によれば、報告書は冒頭、米中という2つの大国がそれぞれの内政事情から内向き志向を一段と強めると予測、戦争の可能性は低下する一方で、世界の課題対処への指導力や協調の欠如につながると指摘しているそうだ。

 

 

 そうはいえども、米中対立は激化の一途をたどっていないだろうか。

 かつて米ソが激しく対立する冷戦時代があった。価値観を共有する西側諸国が、共産圏への技術流出を防止するため、ココム(対共産圏輸出統制委員会)という貿易規制を設けた。冷戦が終結し、この組織は94年に解散したが、再び同じような動きがあるようだ。

【独自】対中国「現代版ココム」に発展も…先端技術の輸出規制で日米が新たな枠組み検討 : 経済 : ニュース : 読売新聞オンライン

 読売新聞によれば、中国が他国から輸入した製品などを自国の技術開発に生かし、経済力や軍事力を強化することを警戒しているという。米国の半導体設計ソフトが中国の兵器開発に利用されていると米議会が批判し、日本やオランダからの半導体製造装置の輸出が、中国の生産力強化につながっているとの見方もあるという。

 冷戦時代は、資本主義 vs 共産主義というようなイデオロギー対立であったが、今回の対立の背景は何なのだろうか。

 米中どちらが世界No.1になるのか、その雌雄を決する争いのようにも見える。それをまた民主主義と権威主義の対立に置き換えていないだろうか。

 

 

 ベルリンの壁が崩壊し、資本主義が勝利宣言した。しかし、その後の世界ではグローバル化の進展とともに、格差が拡大、生態系が破壊されていった。格差拡大は分断・対立を助長し、保護主義、一国主義の台頭を許した。一方、中国はグローバル化の中で世界の工場となり、大きく成長した。そして今、その米中が貿易で、先端技術で対立するようになった。しかし、世界経済は密接に結びつくようになり、現実問題として、中国抜きの世界は考えられなくなっている。

「世界は中国なしでは生きられないし、中国も世界なしでは生きられない」

と、経団連はいう。そして、対中関係の要諦は「競争と協調」にあると指摘する。経団連が願う理想に向かうことはあるのだろうか。

論語の教え

「仁 遠からんや。我 仁を欲すれば、斯(すなわ)ち仁に至る」と、「述而第七」29にある。  

 「仁」は最高の徳、だからといって決して高遠無比、手の届かないところにあるものではない。自分が本気でそれを欲求しさえすれば、「仁」はたちまちここに現前すると、意味する。

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  孔子が生きた春秋戦国の世にあって、弟子を励まして、「仁」に至らしめようとした名文句であると、桑原武夫が解説する。

 論語においては「仁」を最高の徳とする。「仁」に根差せば、戦国の世もやがて収まっていくと、孔子は考えたのだろうか。

「仁」は、至難でもなければ安易でもない。それを現前せしめるのは意志の志の問題だとする。

「仁は遠い、しかし、それだけにそれを欲求する熱意が強ければ、たちまちに現前するのである」。

 世界の為政者はどれだけ「仁」の徳を身についているのだろうか。

 かつて米ソは欧州を挟んで対立した。どこか遠い世界での出来事に思えた。今は米中が対立する。どうみても、日本を挟んでの対立のように見えてしまう。どちらか一方に組することがいいことなのだろうか。兎に角、これ以上対立すべきではないのだろう。安易な選択をして欲しくないと願うばかりだ。

 

いつまでも利益第一優先のままでいいのだろうか、ある会社の社長年頭あいさつから ~ 炉辺閑話 #87

 2022年が始まり10日あまりが過ぎました。オミクロン株がもの凄い勢いで拡大し、少々心配にもなります。

 この波を越えれば、社会全体が良い方向に向かうのでしょうか。

 2022年、良い方向に向かうという予測がある一方で、危機的な状況を迎えるとの予測もあるようです。脱炭素を巡る競争が激化し、それとともに技術競争もまた激しさを増しているようです。ここ最近では、化石燃料から投資資金を引き上げるダイベストメント(投資撤退)の動きも拡大し、この5年で2倍になっているそうです。こうした環境が、もしかして危機的な状況を生み出すことになるのでしょうか。乗り遅れてしまったら、たいへんなことになりそうです。

 

 

 日本製鉄の橋本社長が、社内向けの年頭挨拶で、「総合力世界No.1へ復権し、社会から信頼され、活力と創造性にあふれる、真に強い会社へ発展していくことを、将来ビジョンとして掲げたい」との考えを示しました。

代表取締役社長 橋本 英二 2022年 年頭挨拶(社員向けトップメッセージ) 本年を力強い発展のスタートの年としよう!

 そのためには、2つのことを実現していかなくてはならないといいます。

「2025年に向けて、連結事業利益6,000億円を確実に出す収益力を確立し、長期的には、「グローバル粗鋼1億トン、連結事業利益1兆円」の体制を構築し、また、「ゼロカーボン・スチールで世界をリードすることによって、新しい時代におけるトップメーカーとしての確固たる地位を確立する」ことをあげています。

 特に利益の上積みについて、強い意志を示し、「安定生産、設備エンジニアリング力・設備管理力の強化、ひも付き価格のもう一段の是正、そして、構造改革の断行により、実現を図っていく」と述べています。

 社内に対する年頭挨拶、目標の与え方としてどうなのでしょうか。社会の流れと合致しているのでしょうか。

 

 

 顧客から利益をむさぼるのでなく、生産性、効率性を競い、それを原資として、顧客に低価格を提供するのが本来であって、橋本社長が述べられた「ひも付き価格のもう一段の是正」と対立するように聞こえます。

 最近の社会の風潮なのかもしれませんが、いかに独占的な利益を得ることが目的となり、イノベーションの名の下、結局、覇権争いをしているようにしか見えないところがあるように感じてしまいます。

 本心は計りかねます。世界で求められているカーボンニュートラル実現のためには、「ゼロカーボン・スチール」から逃れることはできないことを理解したうえで、その膨大な開発費を捻出したいのが本音で、それが社員向けのメッセージでは違う表現になったのでしょうか。

論語の教え

「其の以(もち)うる所を視、その由(よ)る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや、人焉んぞ廋さんや」と、「為政第二」10にあります。

「ある人を知るためには、その言動に注目し、次にその原因、動機を観察し、さらにその行動によって、その人の心のあり方がどのように落ち着くかを洞察するのがよい。そうすれば、当の本人が蔽い隠そうと思ったところで、隠しおおせることなどできない」との意味です。

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 日本製鉄の社長の言動からはどんことが推察できるのでしょうか。

「利に放(よ)りて行えば、怨み多し」(「里仁第四」12)といいます。

「利」を「放(放縦)」ほしいままにすると怨まれることが多くなるとの意味です。そのためには、「利」を元来の意味である、公益、公利 (国家、社会のため)に使っていかなければならないとのことなのでしょう。私利私欲であってはならないのです。

 また、「利は義の和なり」ともいい、「義」、正しき道の総和が利益になるということでしょうか。「義」とは、正しきことを実践していく過程、プロセスのことをいいます。その時代時代に求められていることを正しく実践していくことなのでしょう。

 

 

 日本製鉄はこれまでに優れた技術を数々開発し、保有している会社ではないでしょうか。技術をさらに進化させ、本業の製鉄業の工法をさらに効率化させていく技術力もあるのでしょう。 そうすることで価格低減の原資も確保できるのではないでしょうか。

 また、保有する様々な環境技術を使い、横へと展開していけば、様々な産業での環境改善が進み、社会貢献し、そこから利益を得ることもできそうです。

 本業を大事にする会社であると同時に、保有するすべての技術を有効活用、事業化できる会社でもあって欲しいと感じます。

 

奢りたかぶる人たち、「財政再建派は絶滅危惧種」と愚弄 ~ 炉辺閑話 #86

 自民党内で財政政策を巡る主導権争いが起きていると、毎日新聞が報じています。 積極財政の旗を振る高市政調会長に対し、首相は財政再建重視を主張し、それぞれが直轄機関を置く異例の事態となっているといいます。

岸田首相VS高市氏 財政方針巡り火花 政策主導権争いが表面化 | 毎日新聞

 リーダーに仕えるのなら、そのリーダーの構想を実現することが仕える者の役割です。ただリーダーが道理を外れているなら、苦言し、諫め、諫言しなければなりません。それもまた道理であり、役割といいます。そして、どうして聞き入れないなら、そのリーダーから離れるべきといいます。

 高市氏は本部長に「過度のインフレにならない限り財政赤字は気にしなくてよい」とする「現代貨幣理論」(MMT)を支持する西田昌司参院議員を抜てき。

アベノミクス」として、機動的な財政出動を推進した安倍晋三元首相を最高顧問に招き、「積極財政を進める」とのメッセージを打ち出した。(出所:毎日新聞

 重要な役職にあり、一国の宰相とは異なる構想を打ち出し、そこに異なるリーダーを据えることは道理に適っているのでしょうか。もしかしたら、こういうことも反乱なのかもしれません。

 毎日新聞によれば、積極財政派は勢いづき、党内からは「財政再建派は絶滅危惧種だ」(中堅)との声すら出ているといいます。また、党内最大派閥・安倍派の後ろ盾を得て、22年度予算編成の基本方針では、高市氏側が財政健全化に関する文言を弱め、同氏に近い議員は「官邸より党の力が高まった事例だ」と自賛したといいます。首相側近は「高市氏を重要案件に関わらせたくない」と述べたそうです。

 奢りたかぶるものにはしっぺ返しはつきものです。党内改革が避けられないのでしょうか。

 

 

ついつい役職につこうと奔走するけれど

「子禽、子貢に問うて曰わく、夫子は是の邦に至るや、必ずや其の政を聞く、之れを求めたる与(か)。抑そも之れを与えたる与。子貢曰わく、夫子は温・良・恭・倹・譲、以て之れを得たり。夫子の之れを求むるや、其れ諸(こ)れ人の之れを求むるに異なる与」と、論語「学而第一」10にあります。

 孔子が訪れる国で、その国の君主と「政」について話し合っていましたが、それは「孔子みずから望んで行ったものなのか、それとも、求めに応じたものなのか」と、弟子の子禽が聞くと、同じく弟子の子貢は、「先生は、温(温和)、良(善良、良心)、恭(うやうやしさ)、倹(倹約)、譲(謙譲)の五徳を兼ね備えていたので、政治にあずかる地位をおのずと得られた」と答えます。そして、「先生がそれをお求めになったとしても、それはどうもほかの人の仕方とは違っていたようだ」と云った、と意味します。

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 自分の理想を現実政治にあらわして、天下人民を安んじることに熱意を示していた孔子は、つねに仕官を求めていたそうですが、子禽はその外面性をとらえて、孔子猟官運動のテクニックを、子貢に尋ねます。すると子貢は、孔子の五徳、その人格が信頼されておのずともたらしたのだと答えます。

 そこらの野心家たちの物欲しげな態度とは異なるということなのでしょう。積極財政派の面々には、孔子が兼ね備えていたとされる五徳をもっている人がどれだけいるのでしょうか。この五徳と真逆な人たちが多数派を占めていないでしょうか。

 数を頼りに正論を愚弄するのは道理にかなっているのでしょうか。 

 

 

論語の教え

「蓋(けだ)し知らずして之を作る者有らん。我は是(こ)れ無きなり。多く聞きて其の善き者を択(えら)びて之に従う。多く見て之を識(しる)すは、知るの次なり」と、「述而第七」27にあります。

「本当に理解することなくして、新説を作り出す者がいる。しかし、私はそういうことはしない。まず可能な限り学んで、その内のこれぞというものを選び取り、それに従う。可能な限り多くの資料に当たり、それらを記憶するというのは、理解することの前段階」との意味です。

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 学問が進め進むほど、様々な学説が登場するものなのでしょう。しかし、孔子は安易に新説には従わず、作らず、まずはこれまでの学説を可能限り学び、そこから最善を選ぶといいます。 都合のよい新説を採用して、それを言い訳材料にしてはならないのでしょうし、まして拘ってはならないのでしょう。

 新しいリーダーをのっけから、古い論理で攻撃、虎視眈々、機会をうかがうのはどうなのでしょうか。これが為政なのでしょうか。理にかなっているのだろうか。

 

米国議事堂襲撃事件から1年、分断、対立を乗り越えることは不能になったのか ~ 炉辺閑話 #85

 

 米連邦議会議事堂襲撃から1年となった1月6日、バイデン大統領が事件を振り返る演説を行ったそうです。支持率が低迷を続け、その守勢から抜け出すために、前大統領を痛烈に批判したとの見方が大勢のでしょうか。

中間選挙へ「対トランプ」攻勢 バイデン米大統領、投票権法案に照準―議会襲撃1年:時事ドットコム

「彼はただの前大統領ではない。『敗北した前大統領』だ」。

これまでトランプ氏への直接の言及を避け、「大人の対応」に徹してきたバイデン氏だが、この日は明らかに様子が違った。

トランプ氏の「独裁」に口をつぐむ共和党穏健派に対しても、「一人の人間による支配でなく、法の支配を支持する共和党員とは共に働きたい」と揺さぶりをかけた。(出所:JIJI.com)

 経験豊かなバイデン氏が米国のみならず、世界的にも融和に導いてくれることを期待していましたが、「和」がいかに困難なことであることと思い知らされます。分断・対立が先鋭化し、かつての南北戦争のような衝突につながらないことを願うばかりです。

 

 

論語の教え

「夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず」と、「八佾第三」5にあります。

「夏は大なり」、「諸夏」とは、中原にある文明のさかんな国々を指し、その周辺にある野蛮な異民族と対立する、孔子の生きた時代、秦、楚、呉、越などが夷狄とされていていたそうです。

「夷狄の国にたとえ君主がいても、無君主状態に陥っている諸夏(中国)には及ばない」との意味で、「中華(夏)思想」のもとになった言葉といわれているようです。

 しかし、それは後のことであって、孔子が、現代の「中華思想」のように他民族と対立し、平和を乱すことを望むはずもなく、当時は国際政治という概念がなかったのかもしれません。

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 桑原武夫によれば、「孔子としては礼楽を中心とした秩序ある国を中国に復活せしめたい、たとえいま魯の昭公が七年間も国外に亡命しなければならなかったというような、君亡き状態におちいっているにしても、あくまでも先王の道は不滅であり、自信を失ってはならない、と弟子およびみずからをはげましたのであろう」といいます。

 あくまでも、孔子の教えの中心は文明の尊重にあり、文明の基本は礼楽の尊重とその実践にあるといいます。ただ文化は、それぞれの民族の特殊な生活形態から生じるものであるから、他の民族には理解し難い一面もあると指摘します。

 

 

 この章にはもう一つ、「夷狄の君有るは、諸夏の亡きが如くならず」という読みがあります。

「夷狄の国にさえ君主がいて秩序があり、今の中国のような上下の別がない乱世の状態ではない」と解釈します。元、モンゴルに征服されてしまった時代に、朱子によって読まれたといいます。規範が乱れ、文化が衰退すると国さえもなくなってしまうといの戒めなのでしょうか。

分断・対立を乗り越える

 独立、自由、人権という気風を戦いの末に勝ち取った国柄ゆえ、米国にはどうしても対立が生まれてしまうのでしょうか。そうした中にあって、民主主義を進化させてきたのもこれまでの米国だったのでしょう。

CNN.co.jp : バイデン氏演説で最も重要かつ強力な一節、米議会襲撃から1年

 CNNはバイデン大統領を擁護し、「本当の愛国心とは、国を可能な限り偉大にするために制度の中で機能するものだ――それがあなたの個人的関心を満足させるものかどうかにかかわらずだ」といい、「ジョー・バイデン氏はその点をわかっている。ドナルド・トランプ氏は一度もそれをわかっていない」といいます。

 国家元首のありかたについても考えてしまいます。元首には国を代表し国家の威厳を代表する者との解釈もあるようです。礼儀正しく、厳格ルール、規範を守り、威厳正しいさまを示す人でもあるのでしょうか。一般的には、国の首長のことをいい、対外的には、一国を代表する資格をもつ国家機関といわれ、君主国では君主、共和国では大統領などを指すといいます。

 

 

 臆病な平和主義者なのかもしれませんが、今この時代は、国の中にも外にも分断・対立を求めず、みなが協力し、時々の課題を解決していくべきなのではないでしょうか。そのためにはみなが従える共通のルールや規範がもとめられているのかもしれません。その象徴が元首であるべきではないでしょうか。

 

経団連が提唱するサステナブルな資本主義、推進するGX、DXの先にあるものは何か

 経団連の十倉会長が日本経済研究センターで12月23日、「2022経済展望とサステイナブルな資本主義の道筋」という題目で講演したという。

経団連:2022経済展望とサステイナブルな資本主義の道筋 (2021-12-23)

 故中西前会長の後を引き継いだ十倉会長は、中西路線であった「Society 5.0 for SDGs」、「サステイナブルな資本主義」を継承し、その遺志を発展させるべく、尽力してきたと、講演の冒頭に述べ、「経団連サステイナブルな資本主義」について語られた。また、その遺志を引き継ぐ際の思いとして、「義を見てせざるは勇なきなり(論語「為政第二」24)」があったと述べた。

 

 

経団連が推奨するサステイナブルな資本主義

サステイナブルな資本主義の確立」
●人間の営みを考慮し、公正さを確保した資本主義、市場経済の確立
地球市民、社会の構成員としての企業
shareholder’s value ⇒ stakeholders’ value
イノベーションを通じた社会課題の解決
● Sustainable, All inclusive な社会 (Society 5.0) (出所:経団連

 また、この確立のため、政府へ3つの要望をあげ、その中のひとつとして、成長に向けて取り組むべき課題をあげ、2050年カーボンニュートラルに向けたGX グリーントランスフォーメーションの推進や、デジタル化の遅れに対するDX デジタルトランスフォーメーションの推進を指摘、これらがわが国の喫緊の重要課題という。さらにこうしたGX、DXの推進は、国内での投資を誘発し、経済成長に直結するものと述べた。

経済学は、道徳科学・モラルサイエンス

 十倉会長は講演の終わりに、「経済は、人々の幸福の役に立たないといけない」といい、ケインズハロッズへの手紙を引用し、「経済学は自然科学ではない、道徳科学・モラルサイエンスである。これを行うには内省と価値判断を伴う」という。さらに、「経済を考えるには「社会性」「公正さ」「正義」といった視点が肝要」と述べ、「サステイナブルな資本主義」の確立に向けては、こうした考えを尊重していくという。

 

 

 また、十倉会長は好きな言葉に「義」をあげ、「大義」「正義」「信義」。自分自身の行動を振り返るとき、そこに「義」はあるか、「公」のためになっているのかを、常に考えながら行動しているという。そして、経団連は、「公」のため、「社会」のため、「国民」のために、言うべきことは主張していくという。

「義」とは正しい道、万人が同じ「義」を持てば、対立、分断もなくなるのだろうが、そうはならないのが今の現実の世界ではなかろうか。

論語の教え

 十倉会長が引用した「義を見てせざるは勇なきなり」には、前段があって、「其の鬼に非(あら)ずして之を祭るは、諂(へつら)うなり。義を見て為さざるは、勇無きなり」(「為政第二」24)という。

「自分たちの祖霊でない他者の霊を祭るのは、その他者や霊に取り入り、そこから福を得ようとするようなもので、不義のものだ。逆に、義(ただ)しいものと分かっておりながら、実行しないのは勇気がないからである」との教えである。

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 また、「徳有る者は、必ず言あり。言有る者は、必ずしも徳有らず。仁者は必ず勇あり。勇者必ずしも仁有らず」(「憲問第十四」4)との言葉もある。

「有徳者、人格の立派な人物ならば、その言葉はきっと優れている。しかし、いいことを言う者は、必ずしも有徳者、人格が立派であるとは限らない。仁者は、必ず勇気がある。しかし、勇敢な者は、必ずしも仁をもっているとは限られない」と意味する。

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 あの伊達政宗は、「仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる」といったという。 優しさや思いやりが過ぎると弱くなるが、正義や信念が強すぎても固くなってしまうという意味だろうか。十倉会長を批判する気はないが、「義」を重んじ、勇者をなろうとすれば、「仁」に薄くなってしまわないだろうか。

 

 

 カーボンニュートラルを目指しGXやSDGsを実践することは「義」かもしれない。しかし、過ぎれば「固」とならないだろうか。少なくともSDGsが求める世界は「仁」に根差しているはずである。どんな施策も行動も「仁」に適っているのか、そのことを忘れてはならないのだろう。そして、企業もまたそう実践できるように導くのも、経団連の役割ではなかろうか。

 

脱炭素と原発再稼働問題、2022年年頭挨拶で語るべきことだったのか ~ 炉辺閑話 #84

 新しい年が動き始まりました。企業の経営者たちが年頭のあいさつを公開し、首相も経済団体や労働団体の会合に出席、年頭のあいさつをしたようです。それぞれが新しい年にむけ強い決意を示したのでしょう。これまでを振り返り、正すべきを正していくということでしょうか。

「失われた30年」、低い経済成長率、景気拡大が起こらず、賃金上昇は小幅にとどまり、物価目標を設定するも達成できず。

 これまでは、そんな時代だったのかもしれません。目標はあれども、それを達成させようとの意志が極めて弱かった時代だったのかもしれません。

 この30年の歴史を紐解いてみれば、住専問題や山一証券の破綻、その後の不良債権問題など、失われる前の景気が拡大していたバブル期の問題があらわになった時期だったともいえそうです。

 

 

虚飾に満ち、驕奢に過ぎたバブルを引きずる

 あのバブルがいかに虚飾に満ち、驕奢に過ぎていたということなのでしょう。そうであるにもかかわらず、未だその未練を断ち切れず、企業の不正が後を絶たないことが残念でなりません。

 一度身についてしまった悪習からなかなか抜ける出ることができなかったといことなのでしょう。このままでは、この先も同じような状況が続いてしまう危惧さえあるのではないでしょうか。

「如(も)し王者有らば、必ず世にして而(しか)る後に仁ならん」と、論語子路第十三」12にあります。

「聖人(王者)が出ても、今日のように「礼楽倫理」の乱れた世を治めることは容易でない。しかし、聖人が三十年の久しきにわたって治めたならば、「仁」人の道を守る社会となり、国民を帰服させることができよう」との意味だと渋沢栄一はいいます。

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「世」は俗体で、「丗」と書き、「十」という字を三つ連ねていることより、三十年を意味するといいます。

 もしかしたら、「失われた30年」はバブル期の残骸を整理する時期だったのかもしれません。この次の30年は「仁」人の道を守る社会を作っていかなければならないのでしょう。

 

 

脱炭素と原発問題

 脱炭素と原発問題 経済3団体、経団連経済同友会日本商工会議所が東京都内で年頭の記者会見を開いたそうです。

脱炭素へ原発不可欠 「排除あり得ない」―経済3団体首脳:時事ドットコム

 JIJI.comによれば、経団連の十倉会長が、脱炭素社会への取り組みについて、「晴耕雨読の世界にはいまさら戻れず、(社会経済活動には)ベースロード(基幹)電源がいる」と強調し、その上で「原発の選択肢を排除することはあり得ない」と述べ、脱炭素化には原子力発電が不可欠との見方を示したといいます。

「脱炭素」が世界共通の価値観となり、その目標達成が求められています。

 だからといい、あの大事故の顛末を語らないままに、原発を再稼働していいのでしょうか。東電柏崎刈羽原発ではいまだ問題続出で、到底原発を正しく運営できるとは信じることができません。

 経済団体が原発再稼働を求めるなら、この問題の本質に切り込んでいかなければならないのでしょう。そうでなければ、同種の問題が東電のみならず、他でもまた同じように起きることになるのではないでしょうか。

 まずは経済界全体で正しいルールや規範を守る、守れるという姿勢を示すべきではないでしょうか。

 

 

論語の教え

「有子曰く、礼の用は、和を以て貴しと為す。先王の道は斯れを美と為す。小大之に由れば、行なわれざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行なう可からず」と、「学而第一」12にあります。

 渋沢栄一によれば、この章における「礼」は、普通の言葉における「礼」とはその意味を異にし、広義の礼を指すといいます。

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「礼の精神が和にあるのを忘れては、礼が礼にならず、かえってこれがお互に疎隔する原因になってしまうものだ」と栄一はいいます。

「和を以て精神とし、これを執り行なうことにしなければならない。しかし、和が余りにも過ぎると互になれて、かえって不和となり、世の中の秩序を乱すことにもなるから、そこは礼を以て之を節していかなければならないもので、中庸を得たるところに真の和がある」ともいいます。

「なあなあ主義」の狎れあいでは、礼、モラル、マナーが低下して、いつまで経ても、ことは改善されずに、問題を再びしてしまうのかもしれません。

 この章は有子の言葉ですが、現代でいえば、コンプライアンスを説いているのかもしれません。

 コンプライアンスというと何か硬いとのイメージがあるのかもしれませんが、コンプライアンス、規範やマナー、約束を守ることで、「和」、なごみが生まれ、調和できるといっているのかもしれません。

 さて、不正の連鎖、その悪習を断ち切ることはできるのでしょうか。まずはマナーを心から正しく守ることがもとめられているのでしょう。

 悪習を断ち切れば、必然、社会の雰囲気が良化、自然、景気も上向くのではないでしょうか。