「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

やっかみ、嫉妬なのかも 【君に事うるに礼を尽くせば、人以て諂いと為す】 Vol.61

  

 子曰わく、君に事(つか)うるに礼を尽くせば、人以て諂(へつら)いと為す。(「八佾第三」18)

  

(意味)

「君上に接するとき、礼を尽くすと、人はそれをおべっかと見るのだ。」論語 加地伸行

 

 桑原は、この章を孔子自身が君につかえたときの経験とみ、なかなか思うようにはいかないものだと、弱気をふと親しい弟子洩らしたのではないかという。

 下克上の時代にあった当時、魯の国では季氏ら三家が君主を抑えて横暴をはたらいていたという。すでに礼法が乱れ、崩壊過程に入っていた。孔子はそうしたときにあっても、上下の秩序を尊び古来の礼法を完全履行することによって君臣の正しい関係を守ろうとした。ところが阿諛(あゆ:おべっかをつかうこと)と罵られたのは、それが古めかしく固苦しいと感じられたからというより、三家の党派に属する連中が、政争の一手段として嫌がらせしたのだろうと桑原は推測する。

 善意の行為も悪意の誹謗を免れない

 人の感情に「やっかみ」や「嫉妬」などネガティブなものがある。

 ネガティブな感情が常に悪いということはない。必要なものもあるし、不要なものもある。

 

 人は、他人の行動から「その人なり」を知ろうとする。

『君に事うるに礼を尽くせば、人以て諂いと為す』

 

 

「やっかみ」や「嫉妬」は不要なネガティブ感情かもしれない。

 やっかみ

  人となりを知ることの難しさかもしれない。

  時として、そこから誤解が生じる。

 

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 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

礼 2.0 【その礼を愛しむ】 Vol.60

 

 子貢告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す。子曰わく、賜や、爾(なんじ)は其の羊を愛しむ。我はその礼を愛しむ、と。(「八佾第三」17)

  

(意味)

「子貢が告朔の礼に用いる羊の犠牲を廃止しようとした。それについて孔子はこうおっしゃられた。「賜君よ、お前は羊がむだとするが、私の場合は礼式が崩れるのを残念に思う」と。」論語 加地伸行

   

  今の時代に犠牲(=生贄いけにえ)の話もあろうかと思う。まして、ここ最近ではリアルファーですら、嫌われる傾向がある。

 

 孔子が意味することは理解するが、子貢が羊の犠牲をムダと考えたのは、現代人の私たちからすれば、当然であって、そこに疑問投げかける孔子に不思議を感じる。 

 礼式も時代にあって変化する。礼の本筋を違えなければ、例えば、礼 2.0があっても良いように思う。礼1.0を知りえて、2.0に進化するのだから。

 

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 この言葉の解釈を考えると、如何ようにでも解釈できるなと思う。何も古典に従い、解釈するのが論語であるまい。大筋を外さなければ、現代に合わせた解釈があったほうが良いように思う。とかく、古典はハードルが高いと思われがちである。ハードルを下げる工夫があってもよいと思う。漫画版の論語もあるのだから。

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

ラグビー日本代表 小さな巨人田中史朗【力を為すや科を同じくせず】 Vol.59

 

 子曰わく、射は主皮(しゅひ)せず。力を為すや科を同じくせず。古の道なり。(「八佾第三」16)

  

(意味)

「礼射は的(皮)に中(あ)てるだけではない。また、人民を労役に使うとき、体力差で分ける。これがかつて古代で行なわれていた正しい方法なのである。」論語 加地伸行

 

「射」には礼射と武射があるという。武射は実戦用で的にあてることや力強く射抜くことなどが目的で、一方、礼射は礼式用で、音楽に合わせて作法に従って行うという。その際、五善ができていなくてはならないとする。五善のひとつに和容がある。これは礼儀に適った身のこなしや姿のことという。主皮(的にあてること)は五善のひとつにすぎないと加地は解説する。

「科」は区別するとの意味。

 この章を朱子は、「射は皮(まと)にあてるを主とせず。力が科(等級)を同じくせざるが為なり」と読むという。

 

 

 ラグビーワールドカップが終わった。日本代表は念願のベスト8入りした。にわかファンが増え、大いに盛り上がった今回の大会。この先、ラグビーは人気スポーツとして根付くのだろうか。 

  『力を為すや科を同じくせず。古の道なり』。

その言葉に反するように、166cmの田中が日本代表で活躍する。

自分よりはるかに大きなフィジカルを持つ大男に怯まず、果敢にタックルを繰り返す。

彼が途中出場すると、試合が落ちくように感じる。

 

 

 涙もろい一面もあるという田中。そして、日本ラグビーの未来を気にかける。

 

「自分が苦しかったというか、W杯までの経緯もありますし、努力が報われて結果が出て、そして日本中が盛り上がってくれて……、感極まったんだと思います。家でもけっこう泣いてますよ。 

 過去のつらかった時期の番組や、日本ラグビーの苦難がテーマの番組を観ては、『日本ラグビーがよくなってくれれば……』と泣いています。主人のその姿を見て、私も涙が出ちゃって(笑)」(出所:Smart Flash) 

smart-flash.jp

 

 

 そんな田中が大男たちに負けぬ小さな巨人に見える。 

 きっと、子どもたちは小さな田中に勇気をもらったはずだと思う。 

 

f:id:dsupplying:20191106054151j:plain写真出所:Wikipedia

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

郷に入りては郷に従う【是礼なり】 Vol.58

 

 子太廟に入りて、事毎(ことごと)に問う。或るひと曰わく、孰(たれ)か鄹人(すうひと)の子礼を知ると謂えるか。太廟に入りて、事毎に問う、と。子之を聞きて曰わく、是礼なり、と。(「八佾第三」15)

  

(意味)

孔子は大廟での祭式において、事ごとに長上の経験者にたずねられた。これを見て、ある人がこう謗った。「あの鄹野郎、礼の先生と誰が言ったのよ。大廟ではなんでもかんでも人に聞いてたぜ」と。この話が孔子に伝わると、こうおっしゃった。「知っていても過ちのないように確かめる。それが礼なのである」と。」論語 加地伸行

 

「鄹」は、孔子の出身地。今の山東省曲阜県。「鄹」は、「陬」と同じ。「僻陬」片田舎という言葉があるように、遠くて辺鄙な土地の感じである。

 

 

 「郷に入りては郷に従う」という言葉がある。その土地土地に、独自の風俗や習慣はあるもの。新しい土地に行ったなら、その土地の風俗や習慣に従うべきであろう。それは、何も場所だけのことではない。会社やプロスポーツはもちろんのこと、ある組織に属するなら、その組織のルールや規律に従うべきであろう。 

  新たな土地に引っ越して、例えば、その地域のごみ出し方のルールに従わなければ、無礼者とか、非常識とかの謗りを受ける。

 是礼なり

 知っていようがいまいが、過ちのように確かめることを心がけたい。

 それが礼の第一歩となるのだから。

 

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 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

【周は二代に監ぶれば、郁郁乎として文なるかな】南ア主将シヤ・コリシが国家を歌う勇姿 Vol.57

   

 子曰わく、周は二代に監(くら)ぶれば、郁郁乎(いくいくこ)として文(あや)なるかな。吾は周に従わん。(「八佾第三」14)

  

(意味)

「周は、その前の夏・殷二代に比べると、華やかに発展している。私は周の文化に従う。」論語 加地伸行

  

 突如として消滅した文明が数多くある。一方で、王朝は変われど脈々と引き継がれる文明もある。歴史の連続性ということなのだろう。取捨選択し、改めるものを改め、発展、成長があれば歴史はつながっていくのかもしれない。

 

dsupplying.hatenadiary.jp

 

 「関連文書」

dsupplying.hatenadiary.jp

 

(参考文献)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

 ラグビーワールドカップ南アフリカが優勝した。アパルトヘイトの歴史をもつ国南アフリカ。不思議なこともある。南アフリカは優勝のたびに辛い過去と決別するシーンをみせているようである。

 

 

  1995年、南アフリカで開催されたラグビーワールドカップ南アフリカは初優勝した。その時、表彰式で優勝トロフィー「ウィリアム・ウェブ・エリス・カップ」を南アフリカ主将に手渡したのは、ノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ大統領であった。黒人であるマンデラ氏から、白人の主将フランソワ・ピーナールへ。

 2019年のワールドカップ、初めて黒人が主将となった。その人はシヤ・コリシ。アパルトヘイトが撤廃に向かう1991年に生まれた。苦難な時間を過ごすこともあったのだろう。そして、2度目の優勝を果たす。

 

『周は二代に監ぶれば、郁郁乎として文なるかな。吾は周に従わん。』

 

 コリシ主将が大きな口を開け、南アフリカ国家を歌う姿がとても印象的だった。南アフリカは苦いアパルトヘイトの歴史を克服しているように見える。

 

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 (参考文献)  

www.bbc.com

www.bbc.com

 

【罪を天に獲れば、禱る所無し】ラグビーは審判に抗議しないらしい Vol.56

    

 王孫賈(おうそんか)問うて曰わく、其の奥に媚びんよりは、寧ろ竈(そう)に媚びよは、何の謂いぞや、と。子曰わく、然らず。罪を天に獲(う)れば、禱る所無し、と。(「八佾第三」13)

  

(意味)

「王孫賈が孔子に謎かけを試みたことがあった。「奥座敷に取り入るより、台所に取り入りるとは、これいかに」と。孔子はこうお答えになった。「いやいや、お天道さまに背いて叱られては、お許しはどこからも出ませぬでな」と。」論語 加地伸行

 

「王孫賈」、衛国の権臣。

 孔子が衛国に滞在していたとき、位が高いだけで実力のない君主(奥)よりも、実権者である自分(竈)に近づく方が現実的ではないかと誘いをかけた。

 
 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

 

 

 ワールドカップラグビー、日本がサモアに快勝、ボーナスポイントを獲得する劇的な結末でした。審判が日本に厳しかったのではと言われてるようですが、無事勝利、予選リーグ突破に近づいたのでしょうか。 

  ラグビーは他の競技と違って審判に抗議することはあまりないようです。お天道さまがちゃんと見ているからとの思いがあるのでしょうか。

 

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オールブラックスのハカ【吾祭りに与らざれば、祭らざるが如し】 Vol.55

 

 ラグビーワールドカップが始まった。ラグビー強国のニュージーランド オールブラックスのハカは見ごたえがある。士気を鼓舞し、団結力を高め、相手チームへの敬意でもあったりするようです。このハカは、マオリ族の戦士が戦いの前に、手を叩き足を踏み鳴らし自らの力を誇示し、相手を威嚇する民族舞踊らしい。(参考:Wikipedia

   

 祭れば在(いま)すが如し。神々を祭れば神々在すが如し。子曰わく、吾祭りに与(あずか)らざれば、祭らざるが如し、と。(八佾第三 十二)

  

(意味)

孔子は祖先の祭祀のとき、祖先がそこにおられるとして、神々の祭祀ときには、百神がその場におられるとして、まごころを尽された。そして、こうおっしゃられたことがあった。祭祀に参列できなかったとき、なんだか祖先や神々に申し訳なかった気がしてならない。」論語 加地伸行

 

 初戦の南アフリカ戦で、いきなり「カパオパンゴ(Kapa O Pango)」を披露したオールブラックス。相手への敬意の表れだったのであろう。

 この南アフリカ戦、みごとオールブラックスが勝った。

 

 マオリ族の血を引くものが先導役をつとめるのがハカの伝統らしい。

 

「吾祭りに与らざれば、祭らざるが如し」

ということであろうか。

 

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(写真出所:Wikipedia

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。